みなさんの生活の中や漫画の中でも、当たり前のように出てくる「憲法」や「法律」って言葉ですが、憲法と法律って何が違うかわかりますか?
両方とも「法」とつくので同じようなもののイメージをお持ちかもしれませんが実は明確に違います。
今回はその違いを説明しつつ、憲法に関する高校受験で憶えておくべきポイントをまとめておきましょう!
憲法は全てのルールの親分
私達の住む日本には日本国憲法という憲法が有ります。
この日本国憲法は何かというと、日本という国はこういうルールを持つ国にしますよ!っていう決まり事をまとめたものです。
そして定められたそれぞれのルールは日本国内である限り、全ての人間・会社・権力者そして日本という国でさえも絶対に守らなければならない最高ランクの決まり事となります。
この最高ランクのルールを憲法と呼びます。
憲法は最高ランクに位置するので、誰も逆らう事は出来ず必ず憲法は守らなければなりません。
国の誰も逆らう事が出来ないとするなら、もし憲法に逆らう法律が有ったときはどうすれば良いのでしょうか。
いきなり法律という単語を出してしまいましたが、法律とは憲法に従い、国民の権利や義務を守るために定めるルールのことです。
ポイントは「憲法に従う」という点です。
憲法に従う=憲法に逆らってはいけない、ので法律は憲法に逆らえないため、憲法の方が上位ランクであるのです。
つまり、憲法も法律も私達が日本で暮らす上で、権利や義務を定めているのは同じです。
明確な差は、憲法は親分で法律は子分という上下関係があることなんです。
そして親分である憲法に対しては日本においては人も会社も組織も内閣総理大臣もそして全ての法律も、逆らう事は許されないのです。
日本国憲法は2つの誕生日を持っている
みなさんは自分の誕生日は1つ必ず有ると思います。 誕生日ってワクワクしますよね! 1年で1番ソワソワする日です。
誕生日ってのは、何が生まれた日の事なので当然365日のどこか1日が誕生日になるわけです。
ただ実は日本国憲法の誕生日は2日有るんです。 知ってましたか?
そして、前述したとおり私達が平和に暮らせるよう誰も逆らう事の出来ない最高ランクの決まり事の誕生日なので、その2日間ともみんな大好き祝日になっています。
日本国憲法の誕生日を祝日にして、みんなで誕生日をお祝いしましょう、と国も決めているんですね。
その誕生日は次の2日間です。
- 1946年11月3日(公布) 文化の日
- 1947年5月3日(施行) 憲法記念日
大日本帝国憲法と日本国憲法 -日本の古今-
今わたし達が暮らしている日本は日本国憲法という憲法を持っています。
憲法を持っている国の事を立憲国家と言います。 憲法をきちんと建(立)てて、国のルールをしっかり明文化しよう!という国家のことです。
実は憲法を持っていない国もあるんですよ。 そういう国はどうやって国のルールを作っているかというと、やっちゃいけない事はやらないよね?って感じで国民のモラルに任せてたりします。
さて、憲法とは誰も逆らえない最高ランクの国のルールでした。 憲法が「我が国はこういう国にするよー!」って決めているんでしたね。
憲法が国のルールを決めている、これはつまり、憲法が国の方向性・性格を決めているということです。
「憲法がその国そのもの」と言っても過言ではありません。
そう考えると、実は今私達の生活しているこの日本は名前こそ変わりませんが、日本第2世代、日本バージョン2とも言えます。
なぜかと言うと、日本は日本国憲法の前に大日本帝国憲法というバージョン1の憲法を持っている国だったからです。
まずはこの大日本帝国憲法が生まれた時期を見てみましょう。 日本国憲法と同じく大日本帝国憲法も公布→施行の2段階を経て誕生したため誕生日を2つ持っています。
公布:1889年2月11日 建国記念日
施行:1890年11月30日 該当祝日なし
公布・施行や日本国憲法の制定日に関して不安な方は次のページをチェックしてみてください。
1889年って一体いつやねん。 ってなりますよね、100年以上前ですからイメージつきませんよね。
1889年は明治時代で銀魂などの設定でも有名な江戸時代の次の時代です。
この大日本帝国憲法はどの様に出来たのでしょうか。
すこーしだけ時代背景を見てみましょう。
大日本帝国憲法が制定された明治時代は160年も続いた江戸時代からの切り替わりの激動の時代でした。
江戸時代は鎖国の時代で外交がほとんどありませんでしたから、日本は欧米のなどの最先端の文化の進化についていけていませんでした。
また、この時は世界中で憲法制定が空前の大ブームでした。 世界中の強豪国はどこもかしこも憲法を持っており、自分の国のルールを固めて、強い国になるには憲法を持っているのは絶対に必要な条件でした。
明治時代から発足した明治政府はめっちゃ焦りました。 憲法を作りたいのに、鎖国のせいで憲法の作り方がわからないからです。
そこで明治政府は伊藤博文をヨーロッパへ留学させて各国の憲法を調べさせました。
伊藤博文は帰国後、当時世界最先端であったドイツの憲法を見本にして日本最初の憲法を作りあげました。 それが大日本帝国憲法です。
大日本帝国憲法は天皇からの贈り物
伊藤博文が大急ぎで作った大日本帝国憲法は全ての権力を明治天皇に一点集中している内容でした。 この当時は世界中で戦争が起こっており、国が戦争で勝つことが最優先でした。
まだ国民の自由や平和という概念はありません。 なので国のトップに全ての権力を集中させることで国民をコントロールできる内容の憲法となったのです。
大日本帝国憲法は無事に採用され、明治天皇によって制定される形で誕生しました。
国のトップ・君主が自分に都合の良い様に制定する流れで作られた憲法のことを欽定憲法(きんてい憲法)と言います。 言葉だけ憶えておきましょう。
この様に国のトップや天皇にとって都合の良い様に作られた憲法なので、三権分立は全く無くて全ての権力は明治天皇たった一人に集約されていたため、天皇は権力の総攬者(そうらんしゃ)と呼ばれています。 そしてこの状態のことを天皇主権と言います。
総攬とは、(権力などを)一手にひとりで掌握することです。
全ての権力を独り占め…憧れちゃいますね。
※しかしながら、建前上は全ての権力は天皇に集まっていますが、実際にその権力を使っていたのは天皇のバックにいた方々の様です。 黒幕がいたんですね。 天皇は「権力を使う権利は持っているけど、実際には使用しない」状態だった様ですね。
前述のとおり、日本という国が戦争に勝てる軍事国家にすることが大日本帝国憲法の大きな目的でした。
さらに全ての権力は天皇に集中しているため、国民には「法律が許す範囲での権利」のみが与えられました。
国民は許された範囲の自由で、国のため、天皇のために生きる。
それが大日本帝国憲法でした。
大日本帝国憲法と日本国憲法
最後に簡単に、大日本帝国憲法と今の日本国憲法との違いを見てみましょう。
憲法とは、国がどんなルールなのか定めるものでした。
日本国憲法は国民が平和に暮らせる様ルールを作ってくれています。 私たちに与えられた権利も今の自分の生活をイメージすればなんとなくはわかると思います。
一方で大日本帝国憲法は国民は天皇のために生きる様にルールを作っていました。 戦争で負けてしまえば天皇の命が危ないため、戦争に負けるわけにはいきません。
大日本帝国憲法は「国から戦争への出撃命令が出た国民は必ず戦争へ出撃する」というルールを用意し、日本国民が総力戦で戦う体制を作っていました。
戦争への出撃、自分の命と引き換えに自爆特攻する特攻隊での出撃命令でも必ず従わなければいけません。 憲法のルールは誰も逆らえないのでした。
想像してみてください。 今日、明日学校から帰って家のポストに出撃命令の手紙が入っていたら…一週間後に出撃と書かれていたら…。
一週間後に家を出たらもう家族には二度と会えません。 気になるあの人に告白することも、友人と遊ぶことも、将来なりたかった・やりたかった夢も絶対に叶いません。 おじいちゃん・おばあちゃんにも会えなくなります。
これは大昔の話ではなく、たった80年前の日本で実際に有ったことなのです…。
今の日本ではこんな手紙が来ることは絶対にありません。
それは日本国憲法という憲法が、私たち国民を戦争に参加させない様に守ってくれているからです。
約80年前、命をかけて平和な日本を作ってくれた方々、そして今の平和な日本を守っている日本国憲法に感謝ですね。